BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

山ぞ恋しき

日本仏教に未来はあるのか?【その2】

日本仏教に未来はあるのか・・・などと大きく考えてみたものの、そのテーマの大きさを深く感じている。 村はずれにある石像。(聖徳太子が祀ってある) そして自分の考えていたものが、単なる経済的な事ばかりだったことに恥ずかしく思えてきたのである。 結…

日本仏教に未来はあるのか・・・?

仏教は元来「悟りの哲学」であるはずである。 しかし形骸化された既存宗教や、宗教ビジネスと呼ばれる新興宗教など、 全く体たらくな宗教に成り下がっていると感じる。 学問を摘んで、すごい学識があっても、そこに宗教を語る人格が備わっていなければ、 人…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【あとがき】

4月23日「吉崎御到着」のようす 「蓮如さんの心は永遠に永久に」 ~御影道中の影に・・・~ 福井県の最北端「あわら市吉崎」。この地で生まれ育った者には、ある言葉を聞きながら大人になって行きました。それは「蓮如さんのおかげ」という言葉です。 最…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【最終回】

年が明けた文明四年、見玉尼は咳き込むようになりました。 「見玉大丈夫か?やはり北陸の冬は寒いからのぅ、養生せねば・・・。」 「お父様大丈夫でございます。具合が悪いということを、里のものも気にしてくれて、精の出るものと言っていろいろ持って来て…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その17】

吉崎御山古図 見玉尼は蓮如の次女です。蓮如の最初の妻「如了」の子で、蓮如が法主になったのは四十三歳、彼女が十歳の時でした。しかし、その頃彼女はすでに本願寺にはいなかったのです。 当時の本願寺は大変貧しいお寺であり、長男である彼女の兄「順如」…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その16】

馬場大路からの景色 蓮如を吉崎の地で出迎えた「法敬坊順誓」、加賀の国松任生まれのこの男と蓮如の出会いは、吉崎建立から二十五年ほど前のことでした。 蓮如は、父「存如」と三度目の北陸下向を行っていました。その時、行く先々の村々を廻り布教活動をし…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その15】

山田光教寺(http://www.hb.pei.jp/shiro/kaga/yamada-kokyo-ji/) 蓮如上人が吉崎入りする頃、近江で暮らす子ども達のもとに、下間法橋がやってきました。法橋は、法主と呼ばれる本願寺の長の一番身近にいて、それを助けていく立場の人でした。代々本願寺の…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その14】

蓮如上人子守唄(https://openmatome.net/matome/view.php?q=14900428216258) 蓮如には数多くの弟子がいました。そして、部屋済みの時代であっても、蓮如の魅力に取りつかれ、父存如よりも蓮如の法話を聞くことが好きになり、蓮如に陶酔して行った門徒も数…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その13】

文明三年(一四七一年)六月。北陸の春は夏へと向かい、緑の美しい季節へと変わっていました。蓮如が堅田の地を離れ約ひと月。幾度となく暴漢に襲われながらも、人目を避け、初めて歩く山道を、ただひたすらに新たな布教の地へと足を進めていました。 「蓮如…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その12】

蓮如窟(http://nipponn-daisuki.seesaa.net/article/278968830.html) 「法住さま~、法住さま~」 堅田門徒宗のまとめ役でもある法住のもとへ、蓮如と一緒に北陸へ向かったはずの、慶聞坊竜玄が、行き絶え絶えに、青ざめた顔でやって来たのです。 「慶聞坊…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その11】

<第3章> https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2016/11/11/87147 文明三年(一四七一年)、小舟で近江堅田を旅立った蓮如は北国へと向かいます。準備万端と思っていてもその旅は、各所で刺客が待ち受ける旅でした。琵琶湖を北上し、北陸は敦賀へ向か…

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その10】

本願寺が焼打ちにあい、布教の地を捜し歩き考え抜いた蓮如は、目的地を京から遠く離れた北陸の地に求めたのでした。 本願寺の御本尊と呼べる「親鸞聖人の御真影」は持って行く事が出来ないため、 http://www.higashihonganji.or.jp/about/higashihonganji/ …

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その9】

第一子で長男である順如は、蓮如が27歳の時に生まれました。 貧しい本願寺にあって、口減らしで他宗の寺に預けられていく妹や弟たちの事を気がけ、いつも連絡を取り合っていました。 よき相談役でもあり、蓮如の教えを皆に伝える役をもしていましたから、…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その8】

泉慶寺(https://yaokami.jp/1257230/) 蓮如が、越前の敦賀でご布教を終えられ帰る途中の出来事です。堅田近くの山中で道に迷われてしまいました。 周りには家の一軒もなく、このまま野宿かと諦めていたところ、やっと一軒家を見つけることができました。そ…

山ぞ恋しき~蓮如上人「吉崎建立ものがたり」~【その7】

賞金がかかった蓮如さん 第2章 蓮如が吉崎に布教の地を求めた十年前から、日本では餓死者が何万という大飢饉がおこり、「応仁の乱」という戦乱と飢饉で、人々の暮らしはどん底状態のありさまでした。本願寺の再興を願う前に、今一度お念仏の尊さを教え広め…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その6】

如円尼ゆかりの地(https://naka-go.at.webry.info/201507/article_4.html) 後継者争いの蓮如を、強固に本願寺の後継者として押す人間が現れます。それは、叔父、越中井波の如乗でした。如乗は本願寺の親族の中で最大の発言力を持っていたのです。そのあと…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その5】

親鸞聖人ゆかりの地 三十五歳の時のことです。本願寺代々の門主の例にならい、蓮如は初めて関東布教の旅に出ることになりました。これは、正しい布教をするためには、世の中に出て大衆の意識を学ぶということと、御開山である親鸞聖人のご苦労を学ぶというも…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その4】

比叡山(https://www.hieizan.or.jp/) 本願寺に生まれ、やっと得度してから五年の間、蓮如は比叡山で修業学問をしています。 当時、各地の寺院から修業に来る若い僧は、自分の寺からの仕送りで生活をしていました。 しかしながら、蓮如には本願寺からの支援…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その3】

越中瑞泉寺(https://www.info-toyama.com/spot/41019/) 蓮如が6歳の時、生母が寺を去って暫くして、貧しい本願寺の正妻として、朝廷に近い山名氏に深いゆかりのある海老名家から新しい母がやってきました。 けれど本願寺の暮らしは良くはなりませんでした…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その2】

鹿の子の御影 蓮如上人が生まれた頃の日本は、第四代将軍足利義持の長期政権により、政治的には小康状態が続き、室町時代の中でも、比較的安定した時代でした。 当時、幼名を布袋丸と言った蓮如上人の本願寺は、父である存如上人のほか、祖父巧如上人も存命…

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その1】

如意輪観音 序章 地球上には多くの宗教が存在しています。そして宗教で作られている国家が多く存在しています。そしてそのために戦いも起こっています。 平和な現在の日本には政教分離という概念があり、「無宗教」だと名乗る人が多くいますが、葬式仏教が残…