BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

浄土真宗こぼれ話

【お寺では聞けない蓮如さんのお話】その28

<その28> 人生における『出逢い』とは、まったくもって『不思議なものである』と感じる毎日です。 吉崎御坊跡から見える風景 「生きている」という喜びを改めて知ったのは、病気になり二度の手術をして、病室で目を覚ました時に感じた時のことでした。 …

日本仏教に未来はあるのか?【その2】

日本仏教に未来はあるのか・・・などと大きく考えてみたものの、そのテーマの大きさを深く感じている。 村はずれにある石像。(聖徳太子が祀ってある) そして自分の考えていたものが、単なる経済的な事ばかりだったことに恥ずかしく思えてきたのである。 結…

超勝寺というお寺

超勝寺にある「鹿の子の御影」 自分のふるさと「あわら市吉崎」は、本願寺第8代法主「蓮如」が北陸布教の拠点とした場所である。1471年の事である。 福井県福井市にある超勝寺の開創は1392年で、本願寺第5代法主「綽如」の時である。(蓮如の曽祖…

ふる里が教えてくれたこと-後編-

蓮如上人御影道中における、現在の御下向上洛は、教導(僧)一名、供奉人は宰領を入れて6名で、福井・石川・滋賀・大阪などの各府県門徒衆も加わっています。御坊の指名した供奉人は6人ですが、御影のお供をして道中するのは自由で、自分で御供の道中区間を…

ふる里が教えてくれたこと-前編-

~御影道中の影に・・・~ 福井県の最北端「あわら市吉崎」。この地で生まれ育った者には、ある言葉を聞きながら大人になって行きました。それは「蓮如さんのおかげ」という言葉です。 最近ではその言葉を口にする人は少なくなりましたが、今では廃校となっ…

加賀の国を約100年間統治した「加賀一向一揆」の心意気は・・・

石山観音(あわら市吉崎) 福井県あわら市吉崎。 福井県の最北端にあるこの場所に、本願寺第8世蓮如上人が一宇の坊舎を建てたのは1471年7月の事です。それからこの場所は「蓮如の里吉崎」と呼ばれ、今もなお多くの参拝者が訪れます。 平安時代から、こ…

信仰心の溢れる場所~鴫谷山の切通し~

福井県の最北端「あわら市吉崎」。石川県境のこの場所に、蓮如上人が一宇の坊舎を建てたのは一四七一年の事です。蓮如上人は親鸞聖人から数えて八代目の本願寺法主で、この北陸地区を中心に親しみを込めて「蓮如さん」と呼ばれています。 蓮如さんが生まれる…

観光ガイドとして

2019年、今年も残すところあと一か月。 語り部として、13年目も過ぎ去ろうとしています。 この間、多くの人と出会えたのも、「蓮如さんのおかげ」だと思っています。 生きている事に感謝をするようになった事も、食べ物や飲み物に対しても、「美味しい…

御正忌に想う(一人だけの報恩講)

今日は親鸞聖人の御命日。浄土真宗では各寺院で報恩講が開かれ、なんとなく仏教に親しむような感のある今日なのです。 敬愛する蓮如上人は、親鸞聖人から数えて8代目の本願寺の御門跡ですが、蓮如上人の御命日である3月25日よりも、今日、11月28日の…

愛すべき我がふるさと・・・

桜に囲まれる「高村光雲作『蓮如像』」 私の故郷は、浄土真宗本願寺派第8代法主「蓮如」が道場を建てた地で「吉崎御坊」と呼ばれている。古くから「吉崎参り」として賑わい門前町として名高い。 「蓮如」がこの地に坊舎を建てたのは、戦国時代の始まりとさ…

私の信仰は・・・

吉崎蓮如忌の様子 自分は、これといった宗派を持つものではないけれど、仏教徒と呼んでも差し支えないと思っています。 そして、その中でも、親鸞聖人ゆかりの「本願寺」系に属する考え方に近いかと思っています。 何故なら「本願寺第8世蓮如」に陶酔してい…

信心で救われた命は新たな蓮如伝説へ

日本にはたくさんのお寺があります。宗派が色々あるからですが、その中で一番多いのが浄土真宗系のお寺です。浄土真宗では、開祖「法然」・宗祖「親鸞」・中興(ちゅうこう)の祖「蓮如」と呼ばれ、それぞれの時代で仏教を論じ、布教活動で活躍なさった人達が…

報恩講

親鸞聖人のご命日である11月28日が近づいてくるたび、各寺院では御正忌報恩講が行われています。 親鸞聖人の教えを広めるべく、たくさんの宗派があることは周知のごとくなのですが、いわゆる「真宗十派」と本山をあげてみますと、 ①浄土真宗本願寺派 西本願…

わたしの蓮如さん

蓮如桜(八重桜)に囲まれて 「蓮如上人、吉崎に~お着~き~」、幾度となく聞いたこのフレーズ。吉崎に生まれ育った自分には、春を告げる蓮如忌の訪れであり、身近に蓮如さんを思い起させてくれる貴重な10日間の始まりです。毎年4月17日、京都の本山に…