BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

わたしの蓮如さん

f:id:yamamoto-awara:20191111090947j:plain

蓮如桜(八重桜)に囲まれて

 


 「蓮如上人、吉崎に~お着~き~」、幾度となく聞いたこのフレーズ。吉崎に生まれ育った自分には、春を告げる蓮如忌の訪れであり、身近に蓮如さんを思い起させてくれる貴重な10日間の始まりです。毎年4月17日、京都の本山に安置されている蓮如さんの御影を吉崎までお運びになるという「蓮如上人御影道中」は令和元年で346回目となりました。

 数々のドラマと多くの方々のご尽力によって、この歴史は続き、蓮如さんの息吹が今なお感じられる貴重な行事です。御影が到着になる4月23日の夜には、過疎化と高齢化に悩む吉崎という町が、年に一番の盛り上がりを見せ、「南無阿弥陀仏」というお念仏の声が今なお吉崎中に響き渡ります。

 蓮如さんが吉崎に御坊を開かれて550年が過ぎようとしています。北陸を布教の地として選ばれ、多くの門信徒の心を掴まれた蓮如さんは、「伝道者」として日本史上最高の方だったと言っても過言ではないと思います。

 御開山様である親鸞聖人が「求道者」として「浄土真宗」を確立されましたが、蓮如さんがこの世にお生まれにならなければ、浄土真宗教団は今のような大きなものにはならなかったと感じています。

 それゆえ蓮如さんは中興の祖と呼ばれているのですが、蓮如さんの御功績が以前のように評価されなくなったと感じています。

 戦国時代の三英傑、信長・秀吉・家康を一番苦しめた「一向一揆」ですが、その内実には痛ましい歴史がありました。

 しかしながら、感謝やありがたさいう言葉をもって、人々を眠らせるようなことを真宗の教えとはせず、「このままでいい」という所に座り込ませない種を撒いたのが、誰であろう蓮如さんであったはずです。

 今一度蓮如さんの志しに思いを馳し、再び吉崎からお念仏の声が大きくなることを望んでいる自分です。

 蓮如さんは4年3か月しか吉崎にお出でになりませんでした。しかしこの吉崎の地には、語り尽くせぬ蓮如伝説と多くの逸話があることを、再確認する事が必要だと思っています。

 昭和50年に国の指定史跡となった「吉崎御坊跡」。そこに吉崎の象徴というべき高村光雲作の蓮如像があり、そして、昭和9年に完成したこの銅像をながめるように、ひっそりと立つお墓があります。

 

f:id:yamamoto-awara:20191108220503j:plain

見玉尼のお墓(http://www.city.awara.lg.jp/mokuteki/education/kouminkan-n/komin-yoshizaki/oshirase/oshirase/p000655.html


 蓮如さんの第4子、次女となる「見玉尼」のお墓です。貧しかった本願寺の口減らしのため、わずか7歳で他宗の寺に喝食(かつじき)として出され、本願寺が焼き討ちにあった後、応仁の乱によって京の町が焼け野原となった最中、共に生活をしていた姉と叔母が病で亡くなり、蓮如さんの後を追って北陸の地に足を運ばれました。

 しかしその時すでに、彼女の胸には病が襲ってきており、94日間という隔離生活ののち吉崎で息を引き取りました。

 若干26歳という若さでの旅立ちだったのです。

 その時の様子を蓮如さんが御文(御文章)に残されています。

 多くの門徒衆に見送られる中での一節ですが、「或人の不思議の夢想・・・」として綴っています。

『(前略)8月15日荼毘の夜、あかつきがたに感ぜし事あり。その夢にいはく、所詮葬送の庭において、むなしきけぶり〔煙〕となりし白骨のなかより三本の青蓮華出生す。その花のなかより一寸ばかりの金(こがね)ほとけひかりをはなちていづとみる。 さて、いくほどもなくして蝶となりてうせけるとみるほどに、やがて夢さめおわりぬ。

これすなわち、見玉といえる名の真如法性の玉をあらわせるすがたなり。蝶となりてうせぬとみゆるは、そのたましゐ蝶となりて、法性のそら極楽世界涅槃のみやこへまひりぬるといえるこゝろなりと、不審もなくしられたり。これによりて、この当山に葬所をかの亡者往生せしによりてひらけしことも、不思議なり。ことに茶毘のまへには雨ふりつれども、そのときはそらはれて月もさやけくして、紫雲たなびき月輪にうつりて五色なりと、ひとあまねくこれをみる。まことにこの亡者にをいて往生極楽をとげし一定の瑞相をひとにしらしむるかとおぼへはんべるものなり。(後略)あなかしこあなかしこ。』

 白骨から蓮の花が咲き、その中から小さな金佛が光を放ち、蝶となって空高く舞い上がっていく様子、荼毘に際し降っていた雨も上がり、月が顔を出しその灯りを見上げる様子、文人としても魅力ある蓮如さんを表わしてくれている素敵な御文です。このような蓮如さんだからこそ、多くの門信徒が生まれ、浄土真宗が大教団へと育つに至った事なのではないでしょうか。

 

f:id:yamamoto-awara:20191108220945j:plain

映画「鮫」より(https://www.youtube.com/watch?v=giVWeBDjdPo&t=131s


昭和38年、この見玉尼をモチーフとして作家の真継伸彦が「鮫」という小説を残しています。越前三国生まれの非人が京へ上り、極悪非道の荒くれ者となった時に見玉尼と出会い、念仏を知り、浄土真宗に帰依していく様を綴った歴史小説

 その作品は文藝賞を受賞し、翌年、中村錦之助主演で見玉尼役を三田佳子が演じ東映で映画化されました。

 このお話しもまた「方便」かもしれませんが、見玉尼のお墓で合掌するたび、自然の刹那というものを蓮如さんが教えて下さっているといつも感じています。