今生きているということ
毎日同じような時間を過ごして、生きている自分がいる。
コロナウイルスの事件に日本社会が動かされていると感じながら、いま元気で生かされている自分を見つめ直して生きているのである。
人間社会、日本という社会、そこで自分という人間が生かされていると感じる毎日である。
令和になり新しい年を迎えても、自分の周りは何も変わってはいない。
嫌、この社会は、日に日に変わっているのだが、分からないだけなのかもしれない。
生きていくには、この社会と何処かで交わっていかないといけないのだが、それを拒んでいるのではないか、何処か心の奥底にいる自分自身が・・・
他人と自分、その理屈を知って何年生きてきたのだろう。
他人に騙され裏切られた寂しく悲しい経験も、生きて来たから味わえてものである。
友情も愛情も他人を信じていたから味わえたものであり、ひとり寂しく生きて来たならば、感じる事は出来なかったであろう。
人を信じるということが、もしかしたら自分の全てだったのではないか。
自分もそうだが、生きていくには欲望という、利己的にものごとを感じ進めていくことが必要だと思っていた。
自利多利という考え方が、実は今の社会を考えその問題点を解決するヒントになっている。
これを考えるといつも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説を思い出す。
自分さえ良ければいいという考え方を持つだけで、今の社会問題は全て理解できるような気がする。
ただそれは、今の時代の・・・という前提の上でである。
環境問題や人口問題、そして紛争問題など、全て今の時代を一緒に生きている人間の問題なのである。
人間の造物主がいるならば、今の世の中をきっと嘆いていることだろう。