BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

思想信教の自由な世の中だからこそ・・・

相変わらず、左翼の行動にはあきれる毎日を送っている。

国葬

第2次安倍内閣のかなめの位置だった菅前総理




安倍元総理の国葬が終わり、60年安保のノスタルジーに浸っている『国葬反対派』の活動家にもあきれてはいたが、臨時国会が開かれても「元統一教会問題」が議題にさらされ、せっかく国葬の時期を遅くしてまでやりたかった内閣改造も閣僚の相次ぐ退陣で功を成さず、肝心の補正予算審議の遅れを招いている。野党の国民軽視の状態は続き、「論点のすり替え」が左翼政治家の常とう手段に陥ってしまっている。
これによって国民の政治意識がより一層間違った方向へ向いている。

左翼活動家はなにをしたいのか・・・?



哀しい、いつからこんな国に成り下がったのだろう。今の日本は嘘と偽りが蔓延している。そして議論がいつのまにかすり替えられ、いつしか政治への不信論議は、「改憲反対」の方向へ持っていってしまっている。そのうえ岸田政権は「増税ありき」に傾き、全く国民の立場に立っていない。何故このような国に成り下がってしまったのだろう。「今だけ・金だけ・自分だけ」の言葉が流行しているように、そして金権腐敗から、まったくだらしのない政治家ばかりになってしまった事が歯痒い。
真の政治を行うためにも、今の世界情勢を考え国防第一として、この素晴らしい歴史と、儒教・仏教・聖教・禅仏教・神道が混ざり合い、見事な文化の日本国を、後世に繋げるために力を注いでほしいと願うだけである。
正義を語る政治家や精力的な人権運動家の主張は立派で、説いている理屈は正論で、その活動にも意義があり、その意見にも耳を傾ける価値があるとしても、その人にそれを言わしめている動機の本当に深いところには、なりふり構わぬ嫉妬心や競争心、あるいは非常に個人的な劣等感など、さまざまな「悪意」があるのでしょう。
それが全てなのだとは言わないけれど、その人を動かしているエンジンの一つにそれがあり、それはおそらく本人さえも自覚していないかもれない。

歯車はみんなで動いている



人間は一人では生きていけない「生き物」なので集団を造るものなのである。ひとりの人間を一つの歯車だと考えると、日本という集団を動かす「政治」という歯車が全く咬みあっていない感じがしないだろうか。もちろん、一つ一つの歯車も「質」が悪くなってきていて、古臭くもなってはいてとても時代にそぐわない事も多い。
ただ、これでは「国民」が平和で楽しく生きていけるのだろうか。国民も、もっともっと政治に関心を持ち、政治家と国民が助け合い事が必要だろう。正義を語る政治家や精力的な人権運動家の主張は立派で、説いている理屈は正論で、その活動にも意義があり、その意見にも耳を傾ける価値がある、としても、その人にそれを言わしめている動機の本当に深いところには、おそらくなりふり構わぬ嫉妬心や競争心、あるいは非常に個人的な劣等感など、さまざまな何かがあるのでしょう。
それが全てとは言いませんが、その人を動かしているエンジンの一つであり、それはおそらく本人さえも自覚していないものであったりします。

四摂法


「四摂法」という言葉がある。これは仏語で、他の人を 摂ける(助ける・救う)実践徳目を著わしている。それは、「布施・愛語・利行・同事」であり、 布施とは、他の人に自分の財力・能力を分け与えること、愛語とは、他の人に慈しみの心・愛情からの言葉をかけること、利行とは、他の人を利する相手を助ける行為、同事とは、他の人と歩みを共にすることなのである。今の統一教会における宗教問題は、寄付行為の事を主としているが、佛教における「布施」をお経を読んで貰ったり祈ってもらった「対価」が「布施」だと考え、カルト教団が全くの「拝金主義」に陥ってしまっていることを忘れた論議となっている。それがおかしいのである。「布施」の元来の意味を考えれば、西洋かぶれの考え方の陥ってしまっているとは思わないだろうか?
今こそ「宗教家」は立ち上がるべきなのである。『心』の成長を促すためにも、真の宗教は自分のためにある考えではないことに気付き、「助け合う必要性」を教育していってほしいと願うのである。

貴方も世界の歯車の一つ