BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

【お寺では聞けない蓮如さんのお話】その28

<その28>
 人生における『出逢い』とは、まったくもって『不思議なものである』と感じる毎日です。

吉崎御坊跡から見える風景


 「生きている」という喜びを改めて知ったのは、病気になり二度の手術をして、病室で目を覚ました時に感じた時のことでした。
 毎日、辛い仕事などに追われながらでも、元気で楽しく時間を過ごせたことは、『喜ぶべきこと』です。これまで数多くの人に出逢い、数多くの知識を得られ、苦しみや悲しみだけでなく、数多くの「楽しさ」も得られたことを、決して忘れることはできないと思っているのです。つまり「苦楽との出逢い」も、『生きていられればこそ』だということです。このような考え方ができるようになったのは、生まれ住んだ場所が「福井県あわら市吉崎」という『土地柄』だと認識していますが、両親の影響がその基本にあると思っています。

能登地震


 令和6年1月1日午後4時10分、能登半島に大きな地震が起こりました。今だに死者数は増えていきそうな状況です。謹んでご目服をお祈りいたしますとともに、被災された方々に深くお見舞い申し上げます。
 この能登地域と自分の住んでいる「吉崎」との関係性も深く、近所に有った「造り酒屋」へは毎冬、能登から「酒杜氏」の方々がいらしていたという過去があるからです。そしてまた、『蓮如上人』という本願寺八世の大宗教家との繋がりも忘れてはいけないのです。自分たちは親しみを込め『蓮如さん』とお呼びしているように、能登へ観光に行ってお土産屋さんで会話をしていたときに、この『蓮如さん』の話題で花が咲いていた事がありました。そうです、この能登の地もまた、「蓮如さんの恩恵」を被った地域なのです。
 蓮如さんには5人の奥様がいらっしゃいました。それだけを聞くと、「単なる女好きの坊主」だと言われてしまうのが現状ですが、蓮如さんの御功績とその足跡をたどるだけで、その言葉は出なくなるものだと信じています。つまり、現代日本の「礎(いしづえ)となった人だと言える方なのです。衰退していく浄土真宗寺院にしても、宗祖「親鸞聖人」のことは話せても、中興の祖「蓮如上人」のご苦労を語られない現状が、お寺の衰退と『現代日本の病』の渦に飲み込まれてしまっていると感じるのです。蓮如さんは「妻運」に恵まれず、だから5人の奥様がいらっしゃり、27人のお子様がいらっしゃったのです。それから浄土真宗の発展に繋がり、各地に道場や末寺が出来上がり、『お墓』や『仏壇』の文化に繋がり、『報恩講』や『月参り』など末寺の仕事内容も増え、日本における「先祖供養」という『祖霊信仰』の確立ができ、『太陽信仰』と共に、「自然崇拝」の確立がそこにあるのです。寄付という「お金だけのつながりを求めている現代」には一番大切な、生きていく上での『無常観』を知らしめてくれた方の一人が『蓮如さん』なのです。

あわら市吉崎大谷派別院にある石碑


 生きていく上には必ず辛い事や悲しい事がついて廻ります。これも『縁』だと考え、人と比べながら生きるのではなく、「今の自分を大切」にして生きていく事の重大さを、教えてくれていた人が『蓮如さん』だと解ってくると、『南無阿弥陀仏』の意味やすべてが「有難く」思えてくるのです。これこそ「宗教の極意」だと感じるのです。
 どれだけ科学が発達しても、この大自然には勝てるわけがありません。その苦労を知りながら、人から人へ「智慧」を繋ぎながら、そして『命』を繋ぎながら『今』があるのです。それを忘れてはいけないと、今回の「能登地震」で感じていました。
 愚かな『人間社会』(社会)、愚かな「個人崇拝」(信仰)、愚かな『人間』(個人)、明日のために祈るだけです(make a wish)