犯罪について考える
犯罪について考えさせられている。
今日のニュースから
① 新潟女児殺害 小林被告に無期懲役の判決
新潟市西区で2018年5月、下校中の当時7歳女児を殺害し、線路に遺体を遺棄したなどとして、殺人や強制わいせつ致死など七つの罪に問われていた小林遼被告の裁判員裁判がありました。新潟地裁は4日、無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。
② 東海道新幹線で昨年6月、乗客の男女3人が殺傷された事件で、殺人や殺人未遂の罪に問われた小島一朗被告(23)は5日午後、横浜地裁小田原支部の裁判員裁判の被告人質問で、検察側に被害者やその家族への謝罪の気持ちを問われ、「一切ない」と述べた。
小島被告はこれまでの公判で「刑務所に入るのが夢だった」として、無期懲役判決を受けて一生刑務所で生活したいと発言。謝罪しない理由について「(無期懲役なら)謝罪すれば仮釈放されてしまうから」と話した。
一方で、検察側から死刑になることは考えないのか問われると「死刑になるかもしれないと聞かされ、すごくおびえている」と返答した。
③ 4年前、埼玉県熊谷市で住宅に次々と侵入し、6人を殺害したとして1審で死刑を言い渡されたペルー人の被告に対し、2審の東京高等裁判所は「精神障害の影響が非常に大きく、責任能力が十分ではなかった」として、死刑判決を取り消し、無期懲役を言い渡した。
今日は久しぶりに「犯罪」というものを考えてみた。
社会におけるルール違反の「罰」というものに、日本では「死刑」がある。
基本的に「死」への恐怖は誰もが持つ者だと思うが、ルール破りの一番大きなものは「殺人」であろう。
若い頃「なぜ他人を殺してはいけないのか?」「自殺ならいいのか?」という問題にぶち当たり友人と大議論を重ねた事を想い出した。
その昔一世を風靡した「愛と誠」という漫画を想い出しながら、「死」への美徳感も含めて語っていた。
「なぜ生きる」という問題も含め、宗教観の違い・価値観の違いというものが人間にはあるという事を知った頃である。
人が犯した罪を人が裁くという事も、「当たり前」という結論で結びつけてしまうことへの反発心もあった。
「生きていて良かった」と思える人生、「あの時死んでしまっていたら楽だったのに」と考える人生。そんな「人生感」も学ばないといけないと感じ、今に至っている。
「自由である」という日本だから、あの時の考え方が生まれたのだと今は思っている。
せっかく生まれてきたのだから、他人に邪魔されたくないし病気にもなりたくない。
災害もしたり。
生きている事に値打ちがあると今は思っているだけに、「殺人」はやはり極刑にすべきだと今は思っている。司法に携わっている人も大変だなぁと改めて思った。
では、心神喪失で・・・???
心の病気だから殺人を起こしてもいいとも考えられない。
日本における「人間のルール」の必要性と集団で生きているという考え方が、そこにはある。