青春の忘れ物 ~再会~
何年前だったか・・・
こんなことがあった。
早春のある日のことである。
いい天気である。長い冬から抜け出し、やっと咲き出した桜の花を見ようと、ウォーキングツアーに参加した。
集合場所で、総勢20余名の参加者に囲まれながら係の人の案内を待っていたその時、後ろから声がした。
「淳之君?」
ちょっと驚いて後ろを振り向くと、同じくらいの年齢の女性が立っていた。覗き込むようにその人の顔を見ると、大きな驚きに変わった。
「馨さん?」
「そう、久しぶりだね・・・元気だった?」
「うんおかげさまで、馨さんも?」
「相変わらずよ、すっかりおばさんになっちゃったよ」
「俺だっていい親父だよ」
彼女は初恋の人だった。もう40年になる。生まれて初めてラブレターを書いた人、忘れるわけがない。今でもその文面を覚えている。たった一言だ。
「たんじょうびおめでとう、I LOVE YOU」
恥ずかしくて自分の名前を書けなかった。
4月生まれの彼女、その誕生日を知るまでに長い長い時間がかかった。
初めて会った時が中学一年の時。でもクラスも違うしクラブも違う。男子からすごく人気のあった子で、自分はただ、遠くから見ているだけだった。スポーツクラブの彼女を見に行くのは簡単な事だ。放課後体育館へ行けばいいのだから。自分は文化部だったが結構遅くまでやっていたので、帰る時間は彼女と同じになる事が多かった。でも言葉なんて交わす事は出来ない。ただじっと見ているだけだ。2年になって隣のクラスになり、学校行事で2クラス一緒に動くような事があり、初めて言葉を交わした。その時の言葉も覚えている。
「クラブ大変だね」
「大会前だからね」
心臓が高鳴ってくる。でも大勢の友達での会話だったので、高鳴る音が周りに気づかれまいと彼女から少し遠ざかった。それから夏休みをはさみ、何度かグループ同士で会話できるようになり、やっと誕生日を聞き出す事ができた。
「誕生日はいつ?」
「4月28日、春なんだ。だから桜が大好き」
ちょっとガッカリした。その時はもう秋も終わりになっていた。
2年の終了式を迎え、運命のクラス替え。彼女と同じクラスになる事をただ祈った。神様は見ていてくれた。同じクラスになれたのだ。嬉しくて嬉しくて、受験生になるという事なんかすっかり忘れていた。彼女と1年同じクラスでいられるという事の大きさが、暗い受験のイメージを吹き飛ばしていた。始業式の後、初めてのホームルーム。彼女の席は自分のななめ右隣。いつでも彼女を見る事ができる。毎日がバラ色に染まる。そして運命の日を迎える。
彼女に渡したバースデーカードは始業式の時に買ったものだ。そして考え抜いた一言の文を書き、休み時間に誰もいないのを見計らって、彼女の机の中に入れた。彼女が帰ってくる。それをドキドキしながら見ている自分。今でもその様子を鮮明に浮かべられる。机の中の手紙に気づくと彼女はびっくりして大きな声を出した。
「何これ・・・」次から次へとクラスメートが集まり、差出人の捜査が始まったのは言うまでもなかった。ただただじっと、その騒ぎを遠目で見るしかなかった。
中学を卒業し高校も別々になり、彼女への想いは淡い思い出になっていった。
社会人になって初めて同窓会に出席した時、彼女に再会した。恥ずかしい思い出は心にしまいながら時間が過ぎていく。トイレに立った時に偶然彼女と一緒になった。初めての二人きりの会話である。昔話のなかで彼女がこう言った。
「あの手紙、淳之君だったんだよね」
「わかってたの?」
「うんそれでね、あんな大騒ぎになっちゃって、悪いことしたなぁってずっと思ってたんだよ。遅くなったけど謝るから、ごめんなさいね。貰って凄く嬉しかったんだから」
淡い思い出は、熱い想い出に変わってしまった。
それから何年経っただろう。今こうして『旧北国街道を歩くツァー』で再会した。
彼女との会話が楽しくて、地元ガイドの話に真剣に耳を傾けられなかったが、これは耳に残った。
「ここはのこぎり坂と言って、のこぎりの刃を縦に考えて下さい。上ったり下りたり、本当に険しい道だったのです。親鸞聖人が越後に流されるときにここを通り『音に聞く、のこぎり坂の引き別れ、身の行く末は心ほそろぎ』という句を残したと言われています。」
自分の人生も浮き沈みがあり、喜びも悲しみもいろいろ背負ってきた。辛く険しい道を歩んでいく時、林道の脇に、小さく咲いている淡いピンクのショウジョウバカマのように、心にほんのりと安らぎを与えてくれる想い出は、本当にありがたい。そして、戻れるものであれば戻りたいなどと考えてしまうのは、世の常なのかもしれない。
こののこぎり坂には『歌碑』が建っている。
『おとにきく のこぎりざかのひきわかれ みのゆくすえは こころほそろぎ』
(親鸞聖人)