生きていることを感じる日
ちょっと連載はお休みします。
というか、ネタの整理中でネタ切れにはまりました。
今日は考え中という事にしておきます。
「クレオパトラの涙」を書いていると、いろいろな事が浮かんできて、
集中できない自分がいます。
もうちょっとのんびり書きたいのですが、書く事を辞めると、
自分がすべてに対してダメになりそうなのはなぜでしょうか。
だれか、教えて下さい。
まぁ、そんな事があるのは、一回や二回ではないので、やっぱり自分には才能がないと確信できる日が今日なのかもしれません。
でも、書きたい事はたくさんあるので、また書きます。
きのうは14日、あの忠臣蔵の日。
でも、
12月14日には違う想い出があります。
高校時代、慕っていた友人が授業中に亡くなり、そのお母さんの誕生日だったのです。
お母さんを励まそうなんて、子どもじみた考えで仲の良かった友人たちで企画して集まり、
高校生のくせにお酒を飲んで大パーティをしたんです。
今は時効だから言うのですが、たばこと酒でどんちゃん騒ぎ。
ついでに女の子も呼んでもう無茶苦茶。
あれから、もう40年以上たっても、彼の事は忘れません。
若い青春時代に命を落とすって事の、辛さと悲しさも、
一生忘れられないと思っています。
それは今も同じです。
毎年彼の誕生日がくると、彼より、今年も長く生きているって、いつもそう感じています。
ただ、お母さんを励ます事より、自分たちが楽しみたかっただけ・・・なんだという気がしてるのは、還暦を過ぎた今になったからだけかもしれませんが・・・