BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その9】

 第一子で長男である順如は、蓮如が27歳の時に生まれました。

 貧しい本願寺にあって、口減らしで他宗の寺に預けられていく妹や弟たちの事を気がけ、いつも連絡を取り合っていました。

 よき相談役でもあり、蓮如の教えを皆に伝える役をもしていましたから、弟や妹たちからも慕われ尊敬されていました。そんな順如の人柄と優秀さを見抜いていた蓮如は、早くから本願寺再興に向けての寺務を、全て順如に任せていました。

 本願寺比叡山の山門衆により打ち壊され、蓮如の首に賞金がかかっている頃、本願寺の対外折衝の役割を負い、宮廷、武家との交渉事をあたっていたのです。

 越前の国吉崎は、当時、「春日社・興福寺領河口庄細呂宜郷」に属していました。そして、興福寺の大乗院、前門跡の「経覚」という人の隠居料地となっていたのが、この吉崎です。

 蓮如は幾度となく北陸行脚を行っていましたので、この吉崎という地が、自然の要害として適している事をいち早く知っていました。それは、北潟という湖と大聖寺川河口に突き出た、ほんの小さな山でしたから、一方を守れば水に囲まれた絶壁となり、「後ろ堅固」という要塞として、充分、敵から身を守るための土地であると感じたからでした。

 そこに自分の「住みか」を作り、北陸への布教の拠点とすべく、長男の順如を各処へ使者として向かわせていたのでした。

 雪の降り積もるある日のこと、堅田に隠れ潜む蓮如上人のもとに、順如が現れました。

「父上、順如でございます。」

「おお、今戻ったか。寒かったであろう、早く中へ中へ。」

蓮如上人は順如を呼び入れ、茶で暖を与えました。

「ご苦労じゃった。経覚どのは息災であったか。それと、北陸へのご返事は何と・・・」

「お喜びください。大変お元気で在られました。そして、本願寺再興のためになるならと、吉崎を使わせて頂くことにお許しいただきました。」

「そうかそうか、経覚殿は父存如上人の従兄妹にあたられる。本願寺の行き先を、大変心配なさっておられたからのぅ。ありがたや、ありがたや。」

「それでは父上、いつ頃ご出発なさいましょうか」

堅田の民にはたいへん世話になったが、この地も儂の首を狙うものが、次から次へと押し寄せるでのぅ。雪が解ければ、すぐにでも向かうつもりじゃ。」

「さようでございますか。それでは、加賀にいる蓮誓にも伝えておきましょう。慣れない地で、今か今かと父上のお出でをお待ちしておりますので・・・」

「そうか蓮誓には、たいへん心細い思いをさせてしもうたな。繋ぎを頼むのぅ。」

蓮如上人の第七子蓮誓は、貧しい本願寺の口減らしの一人として、幼い時から南禅寺の喝食として本願寺を離れてはいましたが、兄順如を慕い、本願寺再興のために尽力した一人でした。

順如の導きにより、十四歳という若さで、加賀の国の門徒宗のところへ行き、蓮如上人の教えを広めながら、吉崎の対岸にある小さな島「鹿島」の山頂にある、鹿島神社の堂守として、吉崎周辺の連絡係として動いていたのでした。

当時の「鹿島」は、吉崎入り江への海からの進入口として重要な場所でした。大聖寺川河口にある「弁天崎」とともに、その場所に灯される「明神燈」は、現代でいう「灯台」の役割を果たし、海上交通が主のこの時代にあっては、無くてはならないものだったのです。蓮誓はその「灯り」を点す役目をおっていたのでした。

「それでは父上、まだまだ行かねばならぬところがありますので、これにて失礼させて頂きます。

「そうか順如、よろしく頼むのぉ。」

そう言って玄関先まで見送ると、一匹の犬がおりました。

「この犬はどうしたのじゃ。」

「山道で出会いまして、腹を減らしておりましたので、経覚殿から頂いた飯を与えましたところ、ここまでついてきたのでございます。人に怯えておったのですが、どうやら私を味方じゃと感じてくれたみたいで・・・」

「お前らしいのぉ、どうせお前の食う分をあたえたのであろう。しかし、これも阿弥陀様のお導きじゃろう。今やこの国は病んでおる。食べるものもなく、戦ばかりの世の中じゃ。そんな中にあって、犬はおろか、人とて食われてしまう世の中じゃ。しばらくの間じゃが、ここに住まわせばよい。」

「父上、ありがとうございます。この犬も喜んでおるみたいで、尻尾を振っておりますぞ。」

犬の頭をなでながら、順如も笑顔で言いました。

「父上、お体を大切に、そして、くれぐれもご用心なさってください。」

「お前も、気をつけてのぉ」

順如はその場を去り、雪降る夜道へ、紛れて行きました。

蓮如はその後ろ姿に、ただじっと手を合わせるのでした。そばには順如の置いていった犬が、その姿を見守っていました。まさかこの野良犬が、蓮如の命を助けることになるとは、二人には知る由もありませんでした。

雪積もる野山にも、わずかながら小さな春の芽が息吹きだす頃、蓮如のもとに、多くの門徒衆が集まっていました。

蓮如さま、やはり行かれるのでございますか・・・儂は淋しゅうてなりません。」そう言うのは堅田門徒宗の長老株の源右衛門で、息子の源兵衛とともに、熱く蓮如を慕う男でした。源兵衛が生まれるとすぐに妻を亡くし、男手一人で息子を育てていたのです。

「源右衛門、儂とて同じじゃ。堅田の皆と離れるのはつらいが、ここにおっては皆の衆にも迷惑がかかる。それに、御開山様の遺徳を偲ぶ北陸の地にも、儂を待っているものもおる。御開山様の教えを、誤った形で広めておる者もおる。だからのぅ、行かねばならん。」

蓮如さまぁ、蓮如さまぁ、儂は蓮如さまにお会いできんければ、どうなっていたか判らん者です。魚を獲っている時も、家に帰って飯を食う時も、ただただ、手を合わせ、感謝をする気持ちを、蓮如さまから頂きました。儂の命なんざぁ大したもんじゃねえと、毎日を過ごしていた儂がです。」

「源右衛門、その言葉を聞いただけで、儂は嬉しゅうてたまらん。源兵衛と仲良く暮らせよ・・・」

源右衛門と蓮如上人の周りにいる門徒たちも、皆手を合わせ、聞き入っていました。

「上人、ささやかではございますが、食事の席ができましたので・・・」

そういって、蓮如上人の片腕ともいうべき「法住」が入ってきました。法住は堅田門徒衆の指導的な人で、ずっと本願寺の再興のために尽力した一人です。

法住に連れられて、宴席に座った蓮如上人のもとに、順如の連れてきた犬が寄ってきました。蓮如の下に来て以来、門徒宗を前に法話するときには、必ずそばにいる犬でしたが、この日ばかりは違った雰囲気がありました。

堅田門徒宗との別れの宴席、蓮如が食事に箸をつけようとすると、袖口を犬が噛み、箸をつけさせません。法住はそれを見て、

「この犬も上人との別れを惜しんでいるのかも・・・」

とそう言った時、突然、蓮如の飯を食べ出したのでした。

そしてその瞬間、犬は急に苦しみだし、死んでしまったのです。誰かが蓮如の食事に毒をもっていたのです。

言葉もなく、法住をはじめその場を見守る門徒宗に囲まれ、蓮如は手を合わせ、こうつぶやきました。

「儂を助けようとしてくれんたんじゃな、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

命を奪おうとする輩は、蓮如上人のすぐそばまで、来ているのでした。

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犬塚(http://www.shiga-miidera.or.jp/about/walk/119.htm