BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

山ぞ恋しき ~吉崎建立ものがたり~【その8】

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泉慶寺(https://yaokami.jp/1257230/


 蓮如が、越前の敦賀でご布教を終えられ帰る途中の出来事です。堅田近くの山中で道に迷われてしまいました。

 周りには家の一軒もなく、このまま野宿かと諦めていたところ、やっと一軒家を見つけることができました。そこは中井長右衛門という人の家でした。

「夜分にすまないが、道に迷うてしまいこのような時になってしまった。すまないが、一晩の宿をお願いはできまいか。」

 そう言って蓮如はその家の戸を叩きました。主人の長右衛門は、木戸を少し開け、蓮如の顔をまじまじと眺めました。そして、

「これはこれはお坊様、小さくみすぼらしい家ではございますが、こんな我が家で良ければどうぞどうぞ。さすればお腹も減った事でしょう、何か作らせましょう・・・」

そう言って蓮如を家に招き入れたのでした。

「地獄に仏とはこのことか」と、蓮如も大変喜び、もてなしを受けることになりました。

 そこに十七歳の娘がいました。名をお初と言い、母と一緒に料理を作り運んでくると、蓮如と父の会話を、熱心に聞き入っていたのでした。

ささやかな酒宴となり、阿弥陀仏の本願について話し始める蓮如の目は輝き、ひっそりとした山村での生活しか知らないお初にとっては、どんな話も新鮮に聞こえ、ただただ感激したのは言うまでもありません。

 

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蓮如上人とお初(https://lib.city.takashima.shiga.jp/mukashi/m04_1.html


蓮如は一人一人の後生を念じて話され、お初も真剣に聴聞するのでした。

 話しが終わり、蓮如上人は眠りにつくことになります。旅の疲れと酒の酔いが廻り、すぐに床につかれ眠り着いたその頃です。お初は両親の大変な話しを耳にすることになります。

「おい、金の鳥が舞い込んできたぞ」

「あんた、金の鳥って何のことだい」

「俺が里におりた時立て札があった。あの坊主には賞金が掛っているらしい。名は蓮如とか。殺して首を出した者には金一貫文。どんな悪いことをした坊主かは知らないが、金一貫文とはすごい。お初も、もう嫁入りの年頃、嫁入りにも金がかかるからの~」

「しかし、あんた一人で大丈夫なのかい」

「落ちぶれても、元は播磨の国の山名さまの家来。あんな坊主の一人や二人・・。しかし、もしもの事があるから、隣の正右衛門の助けも借りようと思う。あいつも山名さまの家来だった事だし、きっと力を貸してくれるはずだ。隣まで行ってくる。蓮如を逃がさぬようにな。」

そう言って、お初の父、中井長右衛門は出かけていきました。母はすっかり寝入っている蓮如を確認すると部屋に鍵をかけたのです。

 両親が蓮如上人殺しという大罪を犯そうとしている。今ちょっと前に、阿弥陀如来の慈悲の中で生きているという教えを乞うたばかりなのに。お初は居ても立ってもいれませんでした。何としてでも止めなければ。

 お初はそっと部屋へ行き、鍵を開け蓮如を起こしました。

蓮如上人様、どうか急いでお逃げ下さい。父が仲間を連れてあなた様を殺しに来ます。前には母がいますので、裏口からお逃げください。里への道をお教えします。」

「私を助けたとなれば、そなたはどんな仕打ちを受けるか分らんぞ。」

「私は娘でございます。だから、だからきっと大丈夫でございます。」

蓮如が家から出て行くのを見届けると、家に残ったお初は、蓮如の身代わりとなって、ぬくもりの残る布団に潜り込んだのでした。そこには蓮如のぬくもりのほかに蓮如の香りも感じる事ができました。蓮如が教えてくれた話を思い返し、想いを寄せていました。そして、蓮如とお初が入れ替わったことも知らずにやってきた、長右衛門夫婦と隣の家の正右衛門。蓮如上人の寝室に、そっと忍び込み、暗闇の中で蓮如上人の首の辺りをナタで斬りつけたのです。

すると、

「ギャー」

という若い女の声、転がったのは娘のお初の首でした。

「お初、なぜこんなところに・・・」

しばらく呆然としていた二人には、やがてお初の心が分かりました。

欲に目が眩み、尊い蓮如上人まで手にかけてようとしていた恐ろしい心。

それをお初は、身を挺して教えてくれたのだと。

しかし、蓮如上人殺しの大罪は犯さなかったものの、代償はあまりにも大きすぎました。我が子を手にかけてしまった事に、長右衛門夫婦はただ泣き崩れたのでした。そして二人は、蓮如の跡を追う事にしました。一部始終を話し、自分達が犯した罪の恐ろしさに打ち震えるのでした。

 夫婦の後悔を受けて、蓮如は二人にこう言います。

「我が子を手にかけることはこの世のものとも思えない恐ろしい所業。しかし、阿弥陀仏の本願を聞信するならば必ず救い摂られるだろう」と。

 そして長右衛門の家に戻り、ねんごろにお初を弔いました。

「お初殿、きっと儂はそなたの分まで生き長らえばならぬ。阿弥陀如来のお教えを、広く広く、多くの民に伝え広げねばならぬの~」

そう手を合わせ、お初の亡骸に誓う蓮如を見て、長右衛門夫婦が蓮如の弟子となったのは言うまでもありません。

この長右衛門が、蓮如上人の生きざまを語りつぎ、荒廃して行く世の中に、一つの光明を灯していく申し子として、末永く蓮如上人に仕えた忠臣の一人「空善坊」であると言われています。☆

 

 この頃、京都を離れ、堅田に隠れ住みながら布教活動を行っていた蓮如上人は、新たな「住みか」を探していました。焼け野原となった京の町は、やはり当時の日本の中心地であり、将軍家や公家と結びつこうとする有力武将の情報収集の場所でもありました。そんな情報をいち早く得ようとしていた人間は、武家ばかりではなく、蓮如もその一人でした。

 蓮如上人が最初の妻「如了」を娶ったのは二十八歳の時、嘉吉二年、一四四二年の事です。その年、本願寺の跡取りとして長男「順如」が生まれました。まだ部屋ずみで、貧しい時代の本願寺にあって、「順如」は跡取りとして蓮如上人の下で、幼・少・青年時代を過ごしています。弟や妹たちは、七歳くらいになると、いわゆる口減らしのため、浄土真宗以外のお寺に奉公させたりしていた頃です。

 蓮如上人が第八代の法主になった時、「順如」は十五歳になっていましたから、衰退した本願寺の立て直しに父の行動を術からず知り、助けていた事は言うまでもありませんでした。堅田にいる蓮如に、いろいろと京都での情報を掴み運んでいたのは、この順如二十八歳の頃です。そして、もたらしてくれた情報を基に、蓮如上人は、自分の教えを広げていくための、安住の地を探していたのでした。

 蓮如上人には二十七人の子どもがいました。妻帯運が悪く、奥様が病気で亡くなられては新しい奥様を娶るという形だったので、五人の奥様との間に生まれた子供たちの数です。そして、その子ども達は皆仲良く、蓮如上人を慕っていたことは、よく知られています。