BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

山ぞ恋しき~「吉崎建立ものがたり」~【その12】

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蓮如窟(http://nipponn-daisuki.seesaa.net/article/278968830.html


「法住さま~、法住さま~」

堅田門徒宗のまとめ役でもある法住のもとへ、蓮如と一緒に北陸へ向かったはずの、慶聞坊竜玄が、行き絶え絶えに、青ざめた顔でやって来たのです。

「慶聞坊ではないか、蓮如さまの身に何か・・・」

敦賀を無事に過ぎ、木の芽峠を越えようとしたときに襲われましたぁ・・・」

涙をこらえながら法住に伝える慶聞坊。

「申し訳ございません、蓮如さまと離れ離れになってしまい、しばし行方を探してみたのですが見つからず。見知らぬ山道、まして一人ではどうする事も出来ずに戻って参りました。どうかお力をお貸しください・・・」

賞金のかかった蓮如の首を狙うものは、北陸の地までも広がっていたのでした。

法住はすぐさま門徒宗の中から、腕に覚えのあるものを集め北陸へ旅立ったのでした。

「どうかご無事で蓮如さま・・・」

それだけを願い・・・

 

蓮如が暴漢に襲われ行方知れずになった事は、すぐさま見玉やお勝の耳にも伝わりました。心配するお勝を横に見玉は、

「お勝、心配はいらぬ。父上は阿弥陀様に守られておる。堅田門徒衆の動きを見ても分かるであろう。阿弥陀様にすがる多くの人は皆、父上がお招きした方々ばかり。その多くの人の心は皆同じ。父上はどこかで誰かに助けられ、そこでもまた、仏の道をお教えしておられるとわらわはそう思う。信ずることじゃ。」

「見玉さま・・・」

母を亡くし、二番目の母となった叔母を亡くし、姉を亡くし、重なる不幸の続く見玉ではあったが、その心は動じずじっと手を合わせるその姿に深く頭を下げるお勝であった。

「お勝、弟たちといっしょに学問なさい。そして父上の申されておる『仏の教え』をしっかりと学ぶがよいでしょう。」

見玉が、賤民であるお勝に、『学べ』と言ったのである。

当時の律令制度の中、身分の低い民、いわゆる賤民には、非人・河原者などとよばれた被差別民が存在し、きびしい差別が行われていた時代でした。毎日食べていく事だけが精いっぱいで、「学ぶ」という社会でなく、良民と呼ばれる身分の高い人と同様に学問をすることなど、賤民には全くできない時代だったのでした。

お勝が蓮如の子ども達の世話をしている中、後に第九代本願寺法主となる実如は十二歳。当時は光養丸と呼ばれ、本願寺の家老職と言われる執事の、下間法橋の指導によって法門を学んでいたのでした。そしてまた、光養丸のもとを時々訪れる蓮如の長男順如も、しっかりとした知識を弟に学ばせようと指導していたのです。

字の読めないお勝でしたが、見玉の勧めにより、家事の傍ら文字を覚えようと見玉をはじめ、蓮如の弟子たちに教えを乞うようになったのでした。その姿は真剣で、見玉や順如ですら驚くほどの速さで、字を覚えて行ったのでした。

 

さて、この頃暴漢に襲われた蓮如は無事に逃げ延び、越前の山中、奥深い場所に居ました。

木の芽峠から十里ばかり北東へ行く山中に、「芋ヶ平」という地があります。人里離れたこの場所の岩屋に、蓮如は隠れ住んでおりました。多勢の暴漢に襲われる姿を見た里の老婆が、蓮如を案内しここに隠れさせたのでした。

「お坊さま、お坊さま、儂でごぜいます。」

岩屋からそっと顔をのぞかせる蓮如

「おぅ、婆さまか」

「食い物、持ってきたでの~」

「婆さま、毎日すまんのぅ。」

「大した食いもんじゃねえがのぅ、しっかり腹こしらえにゃの~」

「すまん、すまん」

そう言って蓮如は老婆の持って来てくれた食事に口を動かし、笑みを浮かべるのでした。また、食事を運ぶ老婆は、蓮如の話しに一生懸命耳を傾け、それが毎日の楽しみになっていたのでした。

都の話、飢えで苦しむ民百姓の話。土一揆が起こった話。応仁の乱という戦で、京の町が焼け野原となっていった話。そして、仏と言うもののありがたさの話。

どの話をとっても老婆には新鮮でした。老婆もまた毎日の暮らしの苦しみに耐え、木の芽を取り、芋を掘り、鳥を捉え、季節の中で生きているものから貰える命の尊さに感謝する毎日だったのです。そのような老婆が、蓮如の話に耳を傾けないわけがありませんでした。

何日か過ぎ、老婆が蓮如にこう伝えました。

「お坊さま、儂らの村に一人の坊さまがいらしての、蓮如という坊さまを探しておるというんのじゃが、もしかして坊さまの事じゃねぇかと思ってのぅ」

「いかにも儂が蓮如じゃが」

「今度来た坊さまは、前にぬしを切り殺そうとしたような人ではねぇような気がしてのぉ。もしかしたら、お味方が助けに来られたのかと・・・」

「その僧、名は名乗ったか?」

「ずいぶん昔にも儂らの村に来た事があっての、たしか『心源』さまとか・・・」

「そうか、『心源』か、ならば婆さま、すまぬが『乗専』という坊主を知っているか聞いてくれんかのぅ。『乗専』というのは自分の弟子なのじゃが・・・」

「そいで、どうすれば・・・」

「儂の弟子を知っているのであれば、儂を探しに来たのに違いないゆえ、ここに連れて来てほしいのじゃが」

「わかったぞ」

そう言って老婆は里へ降りて行った。

暫くすると老婆は、若い僧を連れて蓮如のところへ戻って来た。

「坊さま~坊さま~、儂ですじゃ」

老婆の声を聞き、岩屋からそっと顔を出した蓮如。それを見るなり若い僧は駆け寄り涙を流しました。

蓮如さま、よくご無事で・・・」

「心源と申したのぉ、儂を探しに来てくれたのか?乗専は達者か・・・?」

「はい蓮如さま、乗専さまから使者があり、越前の国で蓮如さまの行方が解らなくなったので、探してくれと・・・」

「そうかそうか、心源は確か越前の生まれであったな」

「そうでございます、麻生津の生まれでございます。ここから北へ、八里ほどの処でございます」

「ならば北へ向かいたいのじゃが、案内してくれるか?」

「もちろんでございます。」

そう二人の話す会話のそばで急に老婆が泣き出したのである。

「坊さま、いやぁ蓮如さま、いよいよお別れのときが来たんじゃのぅ」

「すまぬ婆さま、本当に世話になった、かたじけない、かたじけない。婆さまの事は、この蓮如、一生忘れはしまい。阿弥陀様と共に婆さまの事を案じておるぞ。」

そう言って蓮如は六字のご名号を書き与えたのである。

「この字はのぉ、『南無阿弥陀仏』と読むんじゃ。この六字を儂と思って大切にしてくれよの。」

泣きながら老婆は蓮如からの名号を手に取り、土下座して蓮如に頭を下げるのであった。

『こいしくば 南無阿弥陀仏を唱うべし われも六字のうちにこそ住め』

そう句を詠み別れを告げる蓮如

ただ涙を流す老婆。蓮如の傍には心源と呼ばれる若き僧がいた。後の「下間蓮崇」である。

この二人、京都を追われた本願寺の再興に向け、北陸の地での布教活動を、大きく膨らませ、後の政(まつりごと)さえ左右させていくのであるが、そのことを知る由もなかった。