御正忌に想う(一人だけの報恩講)
今日は親鸞聖人の御命日。浄土真宗では各寺院で報恩講が開かれ、なんとなく仏教に親しむような感のある今日なのです。
敬愛する蓮如上人は、親鸞聖人から数えて8代目の本願寺の御門跡ですが、蓮如上人の御命日である3月25日よりも、今日、11月28日の方が仏教に親しみたくなる日です。
蓮如上人のお言葉に、
「物をいえいえ」と仰せられ候う。
「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。
「信不信、ともに、ただ、物をいえ」と仰せられ候う。
「物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と仰せられ候由候う。」
(御一代聞書より)
何年か前にこの言葉を知った時、自分の意見は言わないと相手には解ってもらえないという事だと感じ、いろいろな場所で発言するようになった経緯がある。
研修会や講演会、一方的に話を聞くだけの時間ではなく、自分の思った事、感じた事、疑問に思った事などを口に出す事にしたのである。
どちらかというと日本人は、「沈黙は美徳なり」という風潮があるが、今の日本、どこか歯車がくるっていると感じるとき、この日本人気質が現代の悪い流れを作ってしまっていると感じている。
特に、政治に対しての日本人は、西洋人と比べて意見を言わなさすぎる・・・!
御正忌の話に戻すが、以前にも書いたが、親鸞聖人の流れを持つ宗教、学派は数多い。いや、多すぎる。
念仏ひとつの事にいろんなうんちくが付いて廻り、そこに「お金儲け」主義の矢からがうようよ居過ぎる。こう思っているのは、自分だけではあるまい。
今の日本に、宗教観は必要だと感じているし、日本人の気質に一番合っている考え方が、蓮如上人が広めた「浄土真宗」だとも感じている。
もしできる事なれば、親鸞聖人の流れを持つ宗派が一様に、ただ親鸞聖人の御教えのみだけでひとつに纏まる事が出来ないのだろうか。願わくばだが・・・