BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その2

親鸞聖人


<商人の町「大坂」>
親鸞聖人と蓮如さんの関係をよく質問されます。正確に言うと親鸞聖人(1173~1262)と242年の隔たりがある子孫が蓮如さんなのです。兄弟ですかとかほぼ同時期の人のように理解している方も多いのが現状ですが、作家五木寛之さんの著書「蓮如」の中では「親鸞を求道者とするなら蓮如は伝導者」だと述べていますし、宗教学者山折哲雄さんは「親鸞原理主義路線で蓮如は大衆伝道路線である」と著しています。日本最大の真宗本願寺教団が出来上がったことは、この二人の関係性が一般庶民に受け入れられた成果だと捉えるべきでしょう。正に日本の精神文化の神という異名髄がここにあると思うのです。

朝陽を浴びる『蓮如像』(福井県あわら市


また蓮如さんを語る一つのポイントに、『大阪』があります。大阪という地名の名付け親であり、1496年82歳の蓮如さんが堺や各地の商人とともに石山本願寺を建て、寺内町を作ったことが挙げられます。寺内町というのは城下町でも門前町でもなく、お寺を中心とした要塞都市です。このため、あの織田信長が10年かかっても攻め落とせなかったのです。そしてこの10年の戦いで信者の同朋意識、共同体意識は益々高まったことに、「商人の町大阪」が出来上がったと言っても過言ではないでしょう。
現代は「拝金主義」が主軸となり「金儲けのためなら何をしても良い」という風潮に染まっています。それが宗教分野にも広がり、新興宗教が台頭し、人間の心の弱さを突いた「霊感商法」と呼ばれるもので人生を狂わせてしまった人が出ています。また、宗教団体が会費を集め、その会員の中でお金を廻して行くという『組織だった動き』があります。実はその基になっているものが、蓮如さんが広めた「講」と呼ばれる『宗教的共同意識』なのです。本当に残念なことです。そこには、仏教の持つ「悟りの文化」などは消し去られ、単なる拝金主義だけの宗教だと気づいてほしいものです。
蓮如さんは、「仏の前では、貴賎の差はなく平等である」と門信徒と同じ高さに座り、どんな人でも、同胞、仲間、友達という『平座』の思想を説いていたのですから・・・。