BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その30

福井県あわら市の「道の駅あわら」、北陸新幹線ができても・・・


 『予想通り、福井県あわら市吉崎に「道の駅」はできたけれど、一日一日と訪れる人が減少してきているような気がする。
隣接するEXSカフェはそれなりに人は来ているが、何のために蓮如上人ゆかりのこの地に道の駅を建てたのか、さっぱり分からなくなっている。
現代日本の「悪しき流れ」は、「自分の国を自分たちの力で守ろう」という気持ちの現れが出て来ない事だと思うのである。
1471年、蓮如さんが吉崎に来られ、そこから始まった「日本の大イノベーション」の意味を、再認識してほしい。ただ「南無阿弥陀仏」という念仏だけを唱え、愚かな人間が一人生きているという現実は、まず「自分が誠実に生きていこう」という気持ちを持ち、みんな一緒に助け合って生きていこうという「共生」の原理を知ることだったはず、それを忘れ皆『個』に走り、『利』だけを求めている。それではいけないのだと蓮如さんの教えが広まっていった「歴史」を・・・』

FaceBookにこのようなことを投稿したら、色々コメントを頂いた。
ありがたい事だと思っていたが、ふと「吉川英治」の「折々の記」というものを思い出した。
これは、2019年 07月 02日に自分が調べ、書き残したものだが、
吉川英治本願寺を批判》
今日でも現状の仏教があまりにひどいと改革しようとする人がもし現れるとなると
同じような目にあうということは容易に想像できます。
吉川英治という作家の書いた「折々の記」という文章があります。
吉川英治は作家ですから仏教の専門家ではありませんが
作家でさえといったら失礼だが
吉川英治といえば今まで大河ドラマ
宮本武蔵とか新平家物語という大河ドラマの原稿書いた人はみなこの人です。
この吉川英治があまりにも現状の本願寺がひどいということを
今から何十年も前に書いた随想がありました。
出版されましたので書店で誰でも読めますが、
当時蓮如上人450回忌法要がというのは
今から60年ほど前に行われました。
その時に作家吉川英治氏はこうのべています。

『折々の記』
法然いでよ、親鸞いでよ、蓮如今日に生まれよなんてそんなだいそれたこと
今日の教団に向かって私は願わない。到底失望しているからである。
たとえばあえて本願寺と明らかにいうが、その本願寺が4世紀にも渡る
長い間今日の栄誉と荘厳と安住と尊敬とを世評の上に(人々の上に)受けてきたのは
ひとえに庶民の力によるものではなかったろうか。
平たく言えば信徒の親代々、家代々にわたる浄財による支持、素直なる尊敬、それであった。
敗戦後その庶民のうちの何分の1が祖先以来の安住と無事をもっているだろうか。
余計なことを思い煩うようだが本願寺による現在の仏心が今日までのような
習性まかせにすぎぬならば10年後には親鸞蓮如の教えは庶民の中になくなると思う。
現に形のみはあっても生ける親鸞の心、蓮如の慈愛はなくなっている。
法然を語らず蓮如を知らず、マルクスを信仰しスターリンを思う子弟たちが
すでに本願寺の信徒原簿に昔から信徒として残っている家家のうちから沢山にでているに違いない。
なぜ今年も蓮如の大遠忌などをやるのだろう。
(大遠忌というのは450回忌という法事です)

いや大遠忌は結構であるが依然たる大伽藍の荘厳と儀式とむなしい法会修行の
群衆をほしがるような形式をすてないのであろうか。
私にはわからない。
仏教の慈雨(慈悲の雨)はそんなことでふらないと思う。
仏教の盛んとはそんな作った光栄や演出ではないと思う。
目には見えずしかも急速に真宗崩壊の音がどこかでするばかりである。
本願寺の持つ使命の晩鐘とならなければ幸せである。
こんなことを書いて親しい友も沢山いる本願寺の人々に憎まれるのは私も
嫌である。が、つい思うのあまり、憂いがここにでてしまった。
私はもう歯に衣着せずにいっておく。いまにして心から覚めなければ本願寺
地上から亡くなるだろう。(蓮如を思う、折々の記)

一作家が本願寺と名指しにしてこんな強烈なことを本に書いていました。
これは今日も吉川英治全集に乗っているんですね。
だから作家がこれほど本願寺の批判をしたくなるほど、
本願寺は腐っているということです。

なんでかというと今や本願寺も葬式や法事が中心です。
墓番の仏教になっちゃっています。

今や本願寺もこっちの伝統仏教になっちゃっている。残念ながら。
それを吉川英治は嘆いたのです。
本願寺はひどい、こんなままだったら地上からなくなる。ここまでね辛辣に書いています。
こんなこと書いたら嫌われるわね。いくら吉川英治でも。
だから嫌われんように、こんなこと書いて嫌われるのもいややと予防線を張っている
ところがさすが作家だと思うけど、それでも嫌うよね。

これがもし吉川英治のような有名な作家でなくってね、
そこら辺の人がこんなこといったらひどい目にあいます。
吉川英治がこの文章を書いたのは今から60年ほど前ですが、
ちょうどその頃に吉川英治の書いているこういうこと、
いやこれ以上辛辣に、現在の本願寺の誤った状態を徹底的に破って、非難して
本来の親鸞聖人、蓮如上人の時代に戻れとこういうふうに動き出した人もあるんですね。
そんな人がもしあれば吉川英治のような非難をうけます。
当然でしょ。
その非難からは逃げられません。

https://sakyamuni.exblog.jp/27670850/

自分の生まれた『吉崎』という地で暮らして60有余年。
まさに現代に通じることを、『吉川英治』という人が言い当てている。
考え直してみませんか?本願寺にくっついて「飯」を食べているのなら、今のままの東西本願寺で良いのかということを・・・