BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その27

令和6年「吉崎蓮如忌」、蓮如さんご到着前の静けさ・・・


 あわら市吉崎、この地が「蓮如の里」と呼ばれている意味も知らず、『道の駅』が完成した姿を見に来られている方に、この期間で大勢出逢うとができました。今年の「蓮如忌」は、自分の人生の中での「死生観」の集大成となるかも知れません。
 子どもの頃から楽しみにしていた「蓮如忌」ですけれど、今年は自分の年齢からくる「死生観」が新たな展開を迎えているような気がしていたのです。
 それは『道の駅』に対する考え方と、「お寺」に対する考え方が、子どもの頃のそれとはまったく違ってきているからなのです。人が大勢来てにぎやかになり、楽しかった「お祭り気分」は全く起きず、ひたすら「蓮如さんはどう思っているだろうか?』という事ばかり考えていたからなのです。
生まれ育ったこの町が大好きで、この町に誇りを持てていたことが、今は不思議な感じがしています。
 蓮如さんの教えの多くは「性悪説」を捕られています。でも自分は、人間には持って生まれた「性」というものがあり、「人間は可能性の塊だから、良いところを伸ばせば立派になれる」という「性善説」でした。それが、大きな誤りだと確信を持てるようになったからです。それ故、『歎異抄』の「善人ですら救われるのだ、まして悪人が救われないわけがない」という一節が、頭の中に浮かんでは消え消えてはまた浮かぶ「蓮如忌」だったのです。つまり、本当に「悪人ばかりの世の中」が解ってきたからなのかもしれませんが、この日本という社会の乱れは、人間が造ったものであり、嘘をついても「儲け」のためには物が売れればいいと思うことが、多く見受けられたからです。詐欺や盗みも、解らなければそれで良いなんて言ってた「過去の自分」にも、心を改めなければいけないと感じた「蓮如忌」でした。
 今はただ、『南無阿弥陀仏』と手を合わせるだけです。

蓮如さんご到着をお出迎えした「加賀市長」(代理)と「あわら市長」

蓮如さんご到着を知らせる「大太鼓」。351年の重みはここにあります・・・