BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その4

<布教活動の苦労を忘れた現代>
大阪の町を作ったのが蓮如さんの「教え」からだと思うと、真宗門徒だけでなく仏教に携わるすべての人が意外に思うことでしょう。真宗だけが偉いのかと言われそうです。経済発展した現代であるからなおさら解らないかもしれませんが、蓮如さんの教えからなる「宗教的共同意識」の確立が大事なのです。
吉崎を布教の地と決めた蓮如さんは、親鸞聖人の教えを説いて歩く時に、その地域の乞食坊主(こじきぼうず)や年寄(長老)村長(むらおさ)を最初に考えていました。その頃の「知識人」と呼ばれた人たちです。字も読めないし言葉の理解力も乏しい人が多かったのですからやむを得ない時代です。北陸は古くから京の都と行き来もあり野蛮ではなかったと言われています。確かに、奈良の都との交流がありましたし継体天皇の逸話もあります。何より「白山信仰」の恩恵を被っていた場所だったのが大きかったからです。蓮如さん御布教活動は、今で云う「新興宗教」と呼べるものです。ラジオやテレビましてやインターネットなど無い時代、その布教活動がいかに大変だったのかを考えてみてください。
蓮如さんのご苦労を考えていない真宗のお坊さんが、本当に多くなったと感じています。特に親鸞聖人の報恩講は行っていますが、蓮如さんは行っていないというか、目立っていないのが現状なのです。「親鸞を求道者とするなら蓮如は伝導者」という観点からすると、今一度蓮如さんの足跡を思い返す時代が来ていると思うのです。特にここ北陸では・・・
「宗教的共同意識」の確立が経済発展に繋がっていると記述しましたが、実はこれが蓮如さんの評価に繋がっています。日本の知識人と呼ばれる人は、おおむね蓮如さんに対しては批判的です。しかし高度成長期はとりわけ高く評価されていました。学者や文化人より商売人に評価されていると言っても良いのかもしれません。

北陸の霊峰『白山』、その恵みで広がる田園風景


ただ現代の「真宗寺院」は、世襲制度だけを重んじていて、蓮如さんのご苦労を疎んじ無視している傾向がみられます。今一度、そのご苦労を感じ取り、「人に問う…」という意味を思い起こさなければいけないと感じるのです。