BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その26

 

北陸の春の夕陽・・・


令和6年4月23日。

 今、あわら市吉崎では「蓮如忌」が執り行われている。
浄土真宗中興の祖「蓮如」の遺徳を偲び、この様な行事が行われているはずなのだが、残念ながら東西両別院に訪れる方々は、数珠を手にする人は少ない。だから、末寺で御同行を募って団体で参詣するグループと一般参詣の区別は簡単にできるのだが、門をくぐる前に数珠を取り出しお参りするという、当たり前の礼儀ができない人が多いことに気が付いたのは何時頃からだっただろうか?多分、もの心ついた時から「気にしてなかった」からだと思う。それは、信仰に対しての考え方が身についていなかったからだ。
 今、形骸化された事ばかり多くなってしまい、礼儀だ形式だの「形ばかり」の事だけが主要とされ、本当に心のこもった「お付き合い」が出来なくなってしまっている。残念な世の中だと思う。
 それは「行政機関」でも同じで、目上の「立場」の人に気を遣い、出世や失敗を恐れて事を運び、真剣に「民」のための「行政機関」ではなくなってしまっている事が、この日本が住みにくくなっている原因なのではないだろうか。「生きている」という事が基本にあり、「集団で生きている」という事を、全く忘れている結果がこの状態だと思うのである。

令和6年、福井新聞より・・・


 それは宗教団体も全く同じで、形式ばかりにうるさくて新しい人が参加しにくくなっている事が、「宗教離れ」に繋がっているのだと感じるのである。全て「形式」にこだわり肝心の『心』が失われた「日本」、これからどうなるのだろう?
 老婆心ながら気になる「蓮如忌」である・・・