BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その25

仁徳天皇の足跡・・・


 日本の「オリジナリティが無くなった」と感じているのは自分だけではないと思っています。日本人の持つ「独特の感性」というものが、哀しいかな無くなったと思っているからです。
中学生の頃、「義理」とか「人情」という英単語がないという事を知って、授業に身が入らなくなったからと表向きは理由付けをしていますが、成績が悪くて英語が嫌いになったことが、自分の人生の全てだったのかもしれません。ですから、日本の独自性を大切にできるようになりました。

光孝天皇百人一首の和歌・・・


 和歌が好きだった蓮如さんへの愛着は、子どもの頃から好きだった「百人一首」の影響は大きいと思っていますが、日本人の持つ「感性」は、世界に通用できるものだと確信しています。なんといっても「言葉」です。「膠着語」と体系付けされる日本語が文化の高さを現わしていると思います。その「言葉」が「魂」を持つとされている学者の方も居られ、その文化がそのまま日本人の感性の鋭だと思うのです。
 蓮如さんのご詠歌をFBに掲げるにつれ、変な理屈をこねて説明をせずに、それを読んで口に出し、思ったまま感じてほしいと願っているだけなのですが、その「感性」は音楽でも絵画でも、いわゆる芸術作品全般に通じるものだと思っているのです。
 人間の脳は、生まれた時は「真っ白」だけれど、智慧と経験によって「思い込み」と「こだわり」、そして他人との「柵」や「忖度」が付きまとってしまいます。現代は、その「先入観」を取っ払う必要があるのではないかと思うのです。仏教国であった日本に、キリスト教を布教しにやってきた「フランシスコザビエル」に対して、キリスト教の神様のことを「大日(大日如来という仏様のこと)」と日本語訳してしまった歴史を知った時、『言葉の使い方で相手に伝わらない事がある』という事を知りました。
 無宗教だが宗教心は大切にする日本人というデータがあります。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/3971d.html
このデータを見ていると、本当に日本人は「信仰や信心とまではいえない山川草木や神社などに対するアニミズム的な宗教心」を持っている人種だと理解できます。
 信じるものを持つという事の大切さは、国際感覚には必要なものです。
ですから、『戦国時代』という乱世から、平和な日本社会を作った「家康」にもっと脚光が当たっても良いものなのですが、日本人の評価は様々です。彼が「念仏者」であったことは誰もが認めるところなのですが、「政教分離」の原則の下、現代では宗教を口に出す政治家は現れてきません。そこに、日本の問題点が隠されていると思うのですが・・・

仏教で「日本」の骨格をお創りになった「聖徳太子