BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

日本仏教に未来はあるのか・・・?

仏教は元来「悟りの哲学」であるはずである。

しかし形骸化された既存宗教や、宗教ビジネスと呼ばれる新興宗教など、

全く体たらくな宗教に成り下がっていると感じる。

学問を摘んで、すごい学識があっても、そこに宗教を語る人格が備わっていなければ、

人は喜んではくれない。

時に、布施を積む事が「迷い」を打ち消すことだと語る輩までいる。

残念だが、そういう世界が今の宗教をダメにしているのではないかと感じる。

たった一人のそういった存在が、今の宗教に対する考え方が

世間に広まっていかない理由なのである。

 

「人は一人では生きていけない」

だからいろいろな迷いが生じてくる。

そんな時こそ、宗教の必要性を感じるのだ。

 

倫理観や道徳観がなぜ必要なのか・・・
「欲」というものが、次々と生まれてくるのは何故なのか・・・

そうした「迷い」は必ず生まれてくる。

もし、その迷いが消え、悟りを開けたならば、次の時代への使徒となれ・・・

政治が乱れる時、自然災害は起きる・・・

「国が乱れている・・・」そう感じる時がある。

倫理や道徳が乱れていると感じることは多々あったが、

グローバルな時代に生きているからこそ、日本だけでなく世界に目を向けて、

人類に今、何が必要なのかを感じながら、

生きることができるようになっているからこそなのかもしれない。

 

だから、第二次世界大戦後の世界秩序が動いていると感じてしまい、

ちっぽけな日本という国の政治だけを考えていれば良かったのに、

今は「世界」を考えて生きている。

アメリカ大統領選挙」や「パンデミック」で知った、

「生き抜く」ための「知恵」の基本は何なのか・・・?

人間として生きる事の難しさを知って学んだことだ。

 

「人間は集団で生きている」と改めて確認できたし、

日本人の持つ「精神文化」の素晴らしさも確認できた。

そこには、「日本の歴史」を知ることと、

「地球の歴史」も考えなければいけない。

 

日本は稀な国である。

島国特有の文化を持っているし、それを地球規模で感じればいい。

人間が生きていくために必要なものは、どう求めていけばいいのかを考えるのである。

「略奪」・「暴力」、「善」・「悪」。

それがキーワード。

 

日本人の道徳観や倫理観は、世界では通用しない。

 

大河ドラマの影響で、明智光秀ブームのなか、

あの乱れた日本の戦国時代に目をめをやることが、今はできる。

「領土拡張」のため何が起こっていたか?

「天下を取りたい者」は何をしていたのか?

全て勝者が歴史を創ってきた。

 

大戦後、平和を求めた。

人と人が争う事のおぞましさを感じていたはずだ。

殺し合いの中で科学が発達した。

 

また人間には、いつの世も自然との闘いがあった。

それゆえ科学が発達し、

「自然との共存」を求めることが結論として答えを導き出してきた。

全ては「共存」が必要なのである。

 

そこに、日本人の持つ「精神文化」がいかに大切かを見ることができる。

「共存」・・・だ。

 

戦後の日本において、初めて社会党の党首であった村山富市が総理大臣になった時、

阪神大震災は起こった。

あの悪夢の民主党政権の時、東北大震災が起こった。

古くは「犬公方」と呼ばれた徳川綱吉の時、宝永地震が起こった。

また、ペリーが来航した江戸時代。

そこから日本の歴史が動き明治維新が生まれていった安政時代の大地震

全ては日本の政治が乱れていた時のことだ。

 

地震大国日本」は、政治が乱れているときに地震が起こっている。

人間は一人では生きていけない。

だからこそ、「仲良く」することが大切なのである。

しかし、

日本人の道徳観や倫理観は、世界では通用しない。

 この日本人の持つ「精神文化」を、

今、地球は待ち望んでいる。

 

https://blog.hatena.ne.jp/yamamoto-awara/awara.hatenablog.com/edit?entry=26006613459188254

 

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安政の大地震

 

 

現代版「革命論」を学ぶ②

アメリカで起こっている事は「革命」と言えるのではないか・・・

アメリカの大統領選挙に、なぜこれほど不正が出来たのか?

これは本当に不思議な話である。

 

まず最初に「コロナウィルス」が蔓延したことによる理由があげられる。

これは昨年に限ったことではあるが、これによって「郵送投票」を拡大して行われたことが大きかったと思う。

郵便投票は本人確認が難しいし、現代日本のように戸籍のはっきりしない国ではなおさらだろう。

一人何票でも投じることもできてしまう。ここには、悪人なのか善人なのかで、行動も違ってくることがあげられる。

 

真面目な人間ほど汚れた行動に一度陥ると抜け出すことが難しくなる。

そこには「恐喝」などの悪がまた加わってくる恐れがあるからだ。

 

アメリカでは暴動を起こしやすい土壌もある。そこに選挙絡みで、支持者への恐怖をあおることができ、また不正をつくることが出来る。

 

また、「プロパガンダ(メディア)」の影響もあるだろう。

マスコミによる「印象操作」が大きく左右しているのである。

 

そして、科学の発達により選挙にITが取り入れられてきたことも要因の一つだ。

ドミニオンと呼ばれる「投票機」に、アルゴリズムの操作を行い、相手に100票はいると25票が自分に投票されたことになるというプログラムの操作が行われたことだ。

つまり、100票対100票のイーブンだったとしても、自分の方が125に数えられるという仕組みだ。75票対125票人ッてしまう仕組み、こんなことが起こったらたまったもんじゃない。

 

また、「SNS」の発達によって民意がどんどんすり替えられていったことも挙げられる。

 

まだまだある。「身分証明書の偽造」や開票中の不正など、こんなことが民主主義の先端を走ってきたアメリカで起こったのである。

 

信じられない、と思う。

しかしそんなことも、「嘘だ」と大勢の人に言われると「自分が間違っているのか・・・?」と疑心暗鬼になってしまう。

 

多数決社会の基本が民主主義の基本にあるからだが、たとえ自分の意見が少数であっても、「自分で決めて自分で行動すること」が大切なんだと改めて学んだのである。

 

 

現代版「革命論」を学ぶ①

アメリカでは革命が起こっている・・・

「革命論」を唱える時、どうしてもマルクス主義概念を考えなければならない。

自分の知りうる歴史での話となるが、労働者階級による共産主義革命では「資本主義の廃止」が第一の目的となる。そこには、「生きている」ことへの人間の想いが、いつも現れてくる。

マルクス主義は、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしている・・・とウィキペディアにある。

さて、現在の米国における「大統領選の混迷」は、まさにこの原理が行き通う事となってい る。

つまり、社会主義への考え方を持つ者が資本社会への挑戦だと考えて、この事態を考えざる負えないのである。「自由社会」の破壊こそ「幸せがある」と捉えれば、理解できる事が多々ある。

資本主義社会が「幸せな世界」なのか?社会主義が素晴らしいのか?

超大国アメリカ合衆国が、こんなにも狼狽える姿を見せつけられている事に驚きを毎日のように与えられ、愛する日本は大丈夫なのかと考えてしまうのである。

そして、報道弾圧がこの科学が進んだ世の中に、「こうやるのだ…」と教えてもらう毎日に至っている。

いつの世も、富める者と貧しい者は居る。そして時代は動き、次から次へと新たな歴史を刻んでいく。

後世の人類には、2020年から始まっているこのような事態は、長い歴史の中でどう評価されていくのであろうか。

また多くの血が流されはしまいか、子や孫の世界はどうなるのか、新しい「迷い」が自分の中に生まれている。

令和3年になって・・・(2021)

新年を迎え、「心新たに」と言いたいところだけれど、昨年発覚した『病』のため、何かしら重苦しく淋しい正月を迎えた。

新型コロナと呼ばれた昨年から、この疫病のおかげで日々の生活から日本経済までも様変わりした年となったのである。

また自分も、職場の健康診断から「癌」が見つかり、昨年は手術するという経験を踏まえ、健康に不安を抱えての正月となったのである。

「老い先短い命」と悟ってはいるものの、いざ『死』を考えると何とも言えない複雑な心境で新年を迎えたのである。

「一日でも長く生きたい・・・」と願う自分は情けなくも思うし、不安ばかりの毎日なのである。

 

しかしながら、昨年11月3日のアメリカ大統領選挙の結果から、現在の日本の状況を客観的に見ることが出来るようになった。

まずアメリカの大統領選挙が日本では考えられないような不正選挙であるという事実に驚いた。

選挙というものは、民主主義政治では根本となる制度である。

ところがここに不正が認められ、その不正を隠そうとする勢力の存在も知り、信じていたマスコミの対応にも不安が沸き起こり、さらに「司法」も不正に関わっているかもしれないという疑心暗鬼の中に、今民主主義国家として模範とされていたアメリカに起こっている事に驚いたのである。

「選挙は終わった・・・」と思っている人は数多い。特にこの日本では、ほとんどの人はそう理解しているのではないか。日本のマスコミも全くと言っていいほど選挙の不正の事は報じていない。受信料を集めて運営しているNHKでさえ、アメリカの大統領選挙の不正は報道していない。「不正はなかった‥」そう考えているのだとしたら、その資質に疑問を感じるのである。

もしかして、報道規制が引かれ「印象操作」が行われているとしたら、何が正しくて何を信じればいいのか・・?そう考えこんでしまう年の初めとなったのである。

 

悲惨な第二次世界大戦のあと日本は大きな平和の中で成長してきた。

自分もまた、この平和の中で日々の暮らしに満足はしていないにせよ、仕事に追われながら家庭を持ち子どもにも恵まれ、毎日を楽しく生きて来ることが出来た。

両親に感謝し、自分のちっぽけな人生の中に、色々な人と関わりを持ち多くの助けを頂き、そのすべての人の「おかげ」で今がある。

しかしその「今」にすごく大きな不安の影が現れているのである。

「今」の平和な幸せは「明日」大丈夫なのか・・・?そう思うようになったのである。

自分の子どもたちや孫たちをはじめ、知人友人親族全ての人のためにも、平和であってほしいし、幸せな人生を歩んで行ってほしいと願うのである。

 

アメリカ大統領選から感じることを他愛もなく綴ってみた・・・

コロナ騒ぎに想う

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コロナウィルス


緊急事態宣言が延長されるという。

終息が見えない以上、仕方のない措置だと感じる。

経済がどうなるのか・・・?などは、全く庶民には関係のない事だ。

人類として生き残ることが、今は必要なのである。 

 

もし造物主がいるのなら、そしてそれを神と呼ぶのなら、

今回のようなコロナウイルスが蔓延しなかった筈だろう。

なぜなら、「神」は絶対で間違いがないという事だからだ。

今回に至るまで、「神」は何度も私達にメッセージを送っていたはずである。

事実、アメリカのある細菌の研究所では、

約1年前に「コロナウィルス」を発見していたのにもかかわらず、

このような事態は誰一人と考えることが出来なかった。


そう私達人間は、神がお作りになった物なのだから、

その人間を、罰することは無いと思うのは自分だけだろうか・・・?

神はいつも、1点の曇りもない心で、全てを把握し、

愛と許しを持って私達のそばに居られるのだと、信じている。

 

人間の愚かさも、神は知り得ている。

今回の事も、神は歴史には織り込み済みのことなのだろう。

そう、
今回の事は、私達人間に原点に戻るようにと、メッセージを送っているではないのか?

 

自分は神も仏も、すべて同じであると考えている。

どちらも弱い人間が生みだしたものだと思うからである。

 

疫病との戦いは、人類への新たな宿題なのかもしれない。

この地球上で頂いた生命のひとつとして、

今までと同じように自然との闘いを繰り返し、

科学の発展により、いつしか自然への感謝を忘れている人類への忠告が、

今、問われているのである。

 

歴史上、人間同士の醜い争いは影を潜めながらも、「生きる」という根本を、

改めて教えて頂いているのだと、そう感じるのである。

生きていることが「普通」ではなく、すべて「神」のご意思と、ご加護があったから、

今まで続いてきたのではないのか。

そしてこれからも続けていくためにも、人間は自然との闘いを忘れてはならず、

その中に、自然との共存を考えることも大事なのではないだろうか。

今生きているということ

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牛頭天皇のために・・・

 

毎日同じような時間を過ごして、生きている自分がいる。

コロナウイルスの事件に日本社会が動かされていると感じながら、いま元気で生かされている自分を見つめ直して生きているのである。

 

人間社会、日本という社会、そこで自分という人間が生かされていると感じる毎日である。

令和になり新しい年を迎えても、自分の周りは何も変わってはいない。

嫌、この社会は、日に日に変わっているのだが、分からないだけなのかもしれない。

 

生きていくには、この社会と何処かで交わっていかないといけないのだが、それを拒んでいるのではないか、何処か心の奥底にいる自分自身が・・・

 

他人と自分、その理屈を知って何年生きてきたのだろう。

 

他人に騙され裏切られた寂しく悲しい経験も、生きて来たから味わえてものである。

 

友情も愛情も他人を信じていたから味わえたものであり、ひとり寂しく生きて来たならば、感じる事は出来なかったであろう。

 

人を信じるということが、もしかしたら自分の全てだったのではないか。

 

自分もそうだが、生きていくには欲望という、利己的にものごとを感じ進めていくことが必要だと思っていた。

 

自利多利という考え方が、実は今の社会を考えその問題点を解決するヒントになっている。

これを考えるといつも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説を思い出す。

 

自分さえ良ければいいという考え方を持つだけで、今の社会問題は全て理解できるような気がする。

 

ただそれは、今の時代の・・・という前提の上でである。

 

環境問題や人口問題、そして紛争問題など、全て今の時代を一緒に生きている人間の問題なのである。

 

人間の造物主がいるならば、今の世の中をきっと嘆いていることだろう。