BAMUのつぶやき

日本人だから感じること・・・

お寺では聞けない蓮如さんのお話 その11

蓮如上人の「魂」を見て育つ『蓮如桜』


【観光ガイド】

僧侶でもない凡人が、自分の知識を振り回しているわけでもないのに「観光案内」を頼まれて16年の月日が経ちました。体調を崩し、以前のように行動的でないので申し訳なく思っておりますが、地元の公民館長を引き受けた時から、お世話になった「吉崎」への恩返しは、『蓮如さん』を解りやすくご説明させて頂くことだと思っています。
蓮如さんが吉崎に来られた「歴史」は、普通のお寺では聞けない事を語る事だと信じているわけですが、なかなか自分の本心を解って頂けない方が多いので、困っています。
ハッキリ言って「今のままのお寺」ではダメだという事です。寺院経営のあれこれを言う立場ではないので、叱られることも多々ありますが、いつまでも蓮如さんのご功績に「あぐら」をかいて、「葬式」だけの真宗にしてはいけないと思うのです。幸いにも蓮如さんの書き残してくれた「御文」(御文章)というものがあります。500年以上前の文章ですので何かの「解読書」が無ければ、一般の人は解らないかもしれませんが、「一向一揆」について書き記しておこうと思います。
蓮如さんは、民衆の起こした「一揆」については批判的でした。いろいろな説がありますが、「お叱りの御文」というものがあります。その一文を紹介いたしますと、長享二年七月四日に加賀門徒宛てに書かれたものです。簡単に、この写真を意訳いたしますと、
門徒の方々には、悪行を企てたとの由、噂がある。今後このような行いをする輩(ともがら)があれば、永く親鸞聖人の門下から追放する。この旨を厳重に処置するようにせよ」ということです。
この御文は、仲介に入った時の将軍「足利義尚」の面目を施すために出された「始末書」という見方と、一揆本願寺は関係がないという事を示す「したたかな政治手法」と捉える場合もあります。
 残念ながら、今となっては『蓮如さん』の本心伺う事は難しいのですが、このような見解を述べ、お寺では蓮如さんを語ってほしいと思っています。

見玉尼の墓石の前で説明をする風景